激動の時代に、波乱に満ちた人生を歩んだフランス王妃マリー・アントワネット。
彼女が暮らしたヴェルサイユ宮殿の企画・監修のもと
彼女が残した数々の美術品や資料を通して
彼女の華麗で悲しくも儚い一生をたどる展示会が
六本木の森アーツセンタ−ギャラリーで開催されています。
あらかじめ前売り券を買っていたので
あまり混雑することなくゲートをくぐることができましたが
当日券を求めて並ぶ人の列に唖然.......
まだ開場前なのに、長蛇の列。
マリー・アントワネットへの関心の高さを
改めて感じました。
会場のポスター前にてリカちゃんと記念撮影
会場となる森アーツセンタ−ギャラリーは
六本木ヒルズ森タワーのなんと地上52階。
そんなことはつゆ知らず、
案内に従って乗ったエレベーターの階数表示が
10階......20階......30階......と増えていくのにつれて
私の心臓は恐怖でバクバク.........
このエレベーター、どこまで上がるんだろう。
まさかチャーリーとチョコレート工場のように
このまま天井を突き破って外に飛び出したりしないよね........
地上52階からの景色ってこんな感じです。
この展示で一番楽しみにしていたのは音声ガイド。
オフィシャルサポーターの木村佳乃さんのナビゲーターに
マリーアントワネット役の 花總まりさん、
フェルセン役の平川大輔さんが加わり
宮廷の華やかな音楽が流れる中、
マリー・アントワネットがお輿入れをした時の言葉や
母親マリア・テレジアに向けた子育ての喜びと悩みなどが語られます。
『フランス王妃 マリー・アントワネット』1785年油彩
エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブランと工房
音声ガイドの最初はハイドンの交響曲第85番
アントワネットのお気に入りの曲と伝えられ「王妃」と呼ばれる交響曲です。
華やかなマリー・アントワネットの時代を体験すべく
まずはこの曲を聞きながら入場してくださいと案内の人に言われ
音声ガイドのボタンを押そうと会場内を一歩進むと、
なぜか急に涙がこぼれてきてしまいました。
悲しいとか、嬉しいとか、そういう感情は全くなかったのですが
無意識のうちに涙が頬を伝わり
それがとめどもなく流れてきて、戸惑ってしまいました。
マリーの気持ちにリンクしてしまったのか、
それとも高層階での気圧の問題だったのかわかりませんが
溢れる涙を拭おうとしているうちに
肝心のプロローグの楽曲を聞き逃してしまいました。
ちなみにプロローグの曲はこちら。
華麗で気品のあるシンフォニーです。
この不思議な涙の現象を
一緒に行った主人に帰宅してから言うと
主人は、会場内にたびたび流れる
気分の悪くなった方は申し出てくださいというアナウンスが
気になっていたと言っていました。
私はずっと音声ガイドのイヤホンを付けていたので、そのアナウンスには気がつきませんでしたが
通常の展示会ではこんなアナウンスが流れることはほとんどないのに
何か違和感を感じたそうですが......
わずか14歳で政治の道具となるべく政略結婚させられ
異国の地へと嫁いだマリー・アントワネットは
小さいころから音楽に親しみ、
シェーンブルン宮殿で優れた音楽家によりチェンバロの手ほどきを受けていたそうです。
チェンバロの演奏は当時、貴婦人のたしなみとまで言われていました。
この絵が描かれたすぐ後でフランスへと嫁いで行ったのです。
『チェンバロを弾くオーストリア皇女 マリー・アントワネット』1769〜1770年頃油彩
フランツ・クサーヴァー・ヴァーゲンシェーン
音声ガイドで流された曲に、クルムフォルツ作曲の
『ハープの為の6つのソナタ』という曲がありました。
お抱え作曲家が王妃の親しかったランバル公爵夫人に献呈した曲です。
マリー・アントワネットの寵愛を受け
女官長に任命されるも
ポリニャック伯爵夫人にマリー・アントワネットの寵愛が移ると
一度は宮廷を去ったランバル公爵夫人。
しかし革命勃発後は身の安全が確保されていた亡命先のロンドンから
マリー・アントワネットの身を案じ
自ら危険を顧みず、女官としてパリのテュイルリー宮殿へかけつけました。
革命時の貴族狩りにて民衆に虐殺されてしましたが
彼女の慈悲深く博愛に満ちた人柄を表すような
優しくゆったりとした楽曲は
私まで幸せな気持ちにさせてくれました。
会場では、マリー・アントワネットの肖像画はもちろん
愛用していた食器や漆器類、家具や壁飾り、衣裳など
貴重な資料約200点あまりが展示されていましたが
(会場内は写真撮影不可)
中でも目を惹いたのが母マリア・テレジアの影響で
パリの美術市場で買い集めたという
日本の漆器の数々。
伊万里焼のような装飾を施された素晴らしい工芸品に
魅了されていただなんて.....
私の祖父が蒔絵師だったこともあって
なんだかマリー・アントワネットがとても身近に感じました。
この展示会で最大の見所は
ヴェルサイユ宮殿の中庭に面した
マリー・アントワネットのプライベートな空間であった
『プチ・アパルトマン』の再現。
王妃が実際に使っていた家具や浴槽などが原寸大で展示されていたのは
とても興味深いものがありました。
ヴェルサイユ宮殿以外でこの規模の再現がなされることは
史上初の試みだそうです。
こちらの居間は会場内で唯一撮影が許された場所です。
この部屋で彼女は何を考え、誰を想っていたのでしょう。
洗練された壁の装飾や家具、色調など
全て彼女の趣味を色濃く映し出されたこの空間にいると
まるで時空を超えるような不思議な気持ちを味わえました。
『白いペチコートに青いルダンゴト・ドレスを羽織って座るマリー・アントワネット』
1788年 油彩
エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン
作者のエリザベト=ルィーズ・ヴィジェ・ル・ブランは
18世紀における最も有名な女流画家で
マリー・アントワネットとは
親友とも言える仲だったと言われています。
会場には彼女の自画像も展示されていましたが
とっても愛らしい顔立ちで優しい眼差しの女性でした。
退屈で窮屈な宮廷生活の中で
同年代の女性同士、画家と王妃という垣根を超えて
2人はどんな会話を交わしていたのでしょうか。
会場内でひときわ目を惹いたものが
スウェーデン貴族フェルセンとの間で交わされた恋文の公開。
そのほとんどがあぶり出し用の無色インクや暗号で書かれていました。
池田理代子さんの描いたベルばらのフェルセンの姿を思い浮かべながら
愛する人を想う少女のようなマリーの気持ちに思いを馳せました。
会場を進むにつれて
私の心は暗く重くなりました。
マリー・アントワネットの最期の時が近づいてきたからです。
彼女に向けられた誹謗中傷の嵐の中、
数々の偽証によって有罪判決を受け
ギロチン送りに課せられたマリー・アントワネット。
豊かなブロンドの巻き毛の髪の毛は
無惨にも短く借り上げられ
着ていた衣服や靴はとても粗末なものでしたが
『犯罪者にとって死刑は恥ずべきものですが
無実の罪で断頭台に送られるなら恥ずべきものではない』と
ルイ16世の妹エリザベートに宛てた遺書にも書いているように
彼女は最期まで王妃としての威厳や気品を失う事はありませんでした。
王妃として、母として、そして女性として
波乱の一生を送ったマリー・アントワネット。
彼女は人として未熟なまま王妃となったために
王妃という任務を完璧にこなすことはできませんでしたが
彼女の純粋無垢で天真爛漫な性格と
最期までぶれずに自分の心に率直に生きた人間像が
今でもこうして人々を魅了し続けているのでしょう。
会場ではマリー・アントワネットに関するおみやげが
たくさん売られていました。
ブルボン調の優雅な雰囲気を味わいたいと思って
いくつか購入してきました。
と言っても、売店の中は会場内よりもごった返ししていて
まるで押すな、押すなの満員電車の中に入るようで
いろいろと商品を選んで吟味できる余裕もないくらいでした。
こちらは会場内で販売されていたマット付き額絵のうちの1枚で
『王太子妃マリー・アントワネット』1770年
フランスの宮廷に到着して間もない頃のマリー・アントワネット。
初々しい姿がとても清楚で可愛らしい。
早速、近所の画材店で気に入った額を購入し額装していただきました。
こちらは『王妃マリー・アントワネット』1778年
フランス王妃として即位してから数年後のマリー・アントワネットです。
髪をアップして王妃としての気品に溢れています。
こちらはポストカードで、
会場内で販売されていた額を入れて飾りました。
周りにいるお人形はビスク教室で作ったマリー・アントワネットの
メガネ入れとランプシェードです。
そしてこちらは『フランス王妃 マリー・アントワネット』1785年
額縁に絵がセットされて会場で販売されていました。
華やかなドレスに身を包んでいたわずか数年後に
あのような悲劇が自分の身に起こることなど
まだ知る由もありませんでした。
売店が混雑していた上に
額縁や絵がかなりかさばってしまい
あまり時間をかけておみやげを選ぶことは出来ませんでしたが
プチおみやげも買ってきました。
まずは森永ビスケット マリー。
マリー・アントワネットの絵を仕様した会場限定のパッケージになっています。
昔からあるこのビスケットの名前の由来は
マリー・アントワネットに由来していて
ビスケットの周りの模様は
マリー・アントワネットの家紋を表現していると言われています。
その下は会場で展示されていたマリー・アントワネットの絵の
ブックマーカーセットと
あめやえいたろうの『Sweet Lip』ラズベリー味。
グロスリップのようなみつあめで可愛い!
そしてマリー・アントワネットと言えば
池田理代子のベルばらのメモ帳。
もったいなくて絶対使えない〜〜。
今回のマリー・アントワネット展は
2013年に開催された『マリー・アントワネット物語展』とは違って
華やかなドレスやウィッグの展示もないし
ほとんどの写真撮影はNGだったので
乙女心を揺さぶるようなトキメキはあまり感じられませんでしたが
時代の激しい嵐に翻弄され
儚くも気高く散っていったフランスの王妃の生涯を
垣間みることのできた貴重な体験となりました。
マリー・アントワネット展は今月26日まで
森アーツセンタ−ギャラリーにて開催中。
この後、青山のファーマーズマーケットに行きました。
その様子は次回の更新時に綴ります。
オフィシャルサポーターの木村佳乃さんのナビゲーターに
マリーアントワネット役の 花總まりさん、
フェルセン役の平川大輔さんが加わり
宮廷の華やかな音楽が流れる中、
マリー・アントワネットがお輿入れをした時の言葉や
母親マリア・テレジアに向けた子育ての喜びと悩みなどが語られます。
『フランス王妃 マリー・アントワネット』1785年油彩
エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブランと工房
音声ガイドの最初はハイドンの交響曲第85番
アントワネットのお気に入りの曲と伝えられ「王妃」と呼ばれる交響曲です。
華やかなマリー・アントワネットの時代を体験すべく
まずはこの曲を聞きながら入場してくださいと案内の人に言われ
音声ガイドのボタンを押そうと会場内を一歩進むと、
なぜか急に涙がこぼれてきてしまいました。
悲しいとか、嬉しいとか、そういう感情は全くなかったのですが
無意識のうちに涙が頬を伝わり
それがとめどもなく流れてきて、戸惑ってしまいました。
マリーの気持ちにリンクしてしまったのか、
それとも高層階での気圧の問題だったのかわかりませんが
溢れる涙を拭おうとしているうちに
肝心のプロローグの楽曲を聞き逃してしまいました。
ちなみにプロローグの曲はこちら。
華麗で気品のあるシンフォニーです。
この不思議な涙の現象を
一緒に行った主人に帰宅してから言うと
主人は、会場内にたびたび流れる
気分の悪くなった方は申し出てくださいというアナウンスが
気になっていたと言っていました。
私はずっと音声ガイドのイヤホンを付けていたので、そのアナウンスには気がつきませんでしたが
通常の展示会ではこんなアナウンスが流れることはほとんどないのに
何か違和感を感じたそうですが......
わずか14歳で政治の道具となるべく政略結婚させられ
異国の地へと嫁いだマリー・アントワネットは
小さいころから音楽に親しみ、
シェーンブルン宮殿で優れた音楽家によりチェンバロの手ほどきを受けていたそうです。
チェンバロの演奏は当時、貴婦人のたしなみとまで言われていました。
この絵が描かれたすぐ後でフランスへと嫁いで行ったのです。
『チェンバロを弾くオーストリア皇女 マリー・アントワネット』1769〜1770年頃油彩
フランツ・クサーヴァー・ヴァーゲンシェーン
『ハープの為の6つのソナタ』という曲がありました。
お抱え作曲家が王妃の親しかったランバル公爵夫人に献呈した曲です。
マリー・アントワネットの寵愛を受け
女官長に任命されるも
ポリニャック伯爵夫人にマリー・アントワネットの寵愛が移ると
一度は宮廷を去ったランバル公爵夫人。
しかし革命勃発後は身の安全が確保されていた亡命先のロンドンから
マリー・アントワネットの身を案じ
自ら危険を顧みず、女官としてパリのテュイルリー宮殿へかけつけました。
革命時の貴族狩りにて民衆に虐殺されてしましたが
彼女の慈悲深く博愛に満ちた人柄を表すような
優しくゆったりとした楽曲は
私まで幸せな気持ちにさせてくれました。
会場では、マリー・アントワネットの肖像画はもちろん
愛用していた食器や漆器類、家具や壁飾り、衣裳など
貴重な資料約200点あまりが展示されていましたが
(会場内は写真撮影不可)
中でも目を惹いたのが母マリア・テレジアの影響で
パリの美術市場で買い集めたという
日本の漆器の数々。
伊万里焼のような装飾を施された素晴らしい工芸品に
魅了されていただなんて.....
私の祖父が蒔絵師だったこともあって
なんだかマリー・アントワネットがとても身近に感じました。
この展示会で最大の見所は
ヴェルサイユ宮殿の中庭に面した
マリー・アントワネットのプライベートな空間であった
『プチ・アパルトマン』の再現。
王妃が実際に使っていた家具や浴槽などが原寸大で展示されていたのは
とても興味深いものがありました。
ヴェルサイユ宮殿以外でこの規模の再現がなされることは
史上初の試みだそうです。
こちらの居間は会場内で唯一撮影が許された場所です。
この部屋で彼女は何を考え、誰を想っていたのでしょう。
洗練された壁の装飾や家具、色調など
全て彼女の趣味を色濃く映し出されたこの空間にいると
まるで時空を超えるような不思議な気持ちを味わえました。
『白いペチコートに青いルダンゴト・ドレスを羽織って座るマリー・アントワネット』
1788年 油彩
エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン
作者のエリザベト=ルィーズ・ヴィジェ・ル・ブランは
18世紀における最も有名な女流画家で
マリー・アントワネットとは
親友とも言える仲だったと言われています。
会場には彼女の自画像も展示されていましたが
とっても愛らしい顔立ちで優しい眼差しの女性でした。
退屈で窮屈な宮廷生活の中で
同年代の女性同士、画家と王妃という垣根を超えて
2人はどんな会話を交わしていたのでしょうか。
会場内でひときわ目を惹いたものが
スウェーデン貴族フェルセンとの間で交わされた恋文の公開。
そのほとんどがあぶり出し用の無色インクや暗号で書かれていました。
池田理代子さんの描いたベルばらのフェルセンの姿を思い浮かべながら
愛する人を想う少女のようなマリーの気持ちに思いを馳せました。
会場を進むにつれて
私の心は暗く重くなりました。
マリー・アントワネットの最期の時が近づいてきたからです。
彼女に向けられた誹謗中傷の嵐の中、
数々の偽証によって有罪判決を受け
ギロチン送りに課せられたマリー・アントワネット。
豊かなブロンドの巻き毛の髪の毛は
無惨にも短く借り上げられ
着ていた衣服や靴はとても粗末なものでしたが
『犯罪者にとって死刑は恥ずべきものですが
無実の罪で断頭台に送られるなら恥ずべきものではない』と
ルイ16世の妹エリザベートに宛てた遺書にも書いているように
彼女は最期まで王妃としての威厳や気品を失う事はありませんでした。
王妃として、母として、そして女性として
波乱の一生を送ったマリー・アントワネット。
彼女は人として未熟なまま王妃となったために
王妃という任務を完璧にこなすことはできませんでしたが
彼女の純粋無垢で天真爛漫な性格と
最期までぶれずに自分の心に率直に生きた人間像が
今でもこうして人々を魅了し続けているのでしょう。
会場ではマリー・アントワネットに関するおみやげが
たくさん売られていました。
ブルボン調の優雅な雰囲気を味わいたいと思って
いくつか購入してきました。
と言っても、売店の中は会場内よりもごった返ししていて
まるで押すな、押すなの満員電車の中に入るようで
いろいろと商品を選んで吟味できる余裕もないくらいでした。
こちらは会場内で販売されていたマット付き額絵のうちの1枚で
『王太子妃マリー・アントワネット』1770年
フランスの宮廷に到着して間もない頃のマリー・アントワネット。
初々しい姿がとても清楚で可愛らしい。
早速、近所の画材店で気に入った額を購入し額装していただきました。
こちらは『王妃マリー・アントワネット』1778年
フランス王妃として即位してから数年後のマリー・アントワネットです。
髪をアップして王妃としての気品に溢れています。
こちらはポストカードで、
会場内で販売されていた額を入れて飾りました。
周りにいるお人形はビスク教室で作ったマリー・アントワネットの
メガネ入れとランプシェードです。
そしてこちらは『フランス王妃 マリー・アントワネット』1785年
額縁に絵がセットされて会場で販売されていました。
華やかなドレスに身を包んでいたわずか数年後に
あのような悲劇が自分の身に起こることなど
まだ知る由もありませんでした。
売店が混雑していた上に
額縁や絵がかなりかさばってしまい
あまり時間をかけておみやげを選ぶことは出来ませんでしたが
プチおみやげも買ってきました。
まずは森永ビスケット マリー。
マリー・アントワネットの絵を仕様した会場限定のパッケージになっています。
昔からあるこのビスケットの名前の由来は
マリー・アントワネットに由来していて
ビスケットの周りの模様は
マリー・アントワネットの家紋を表現していると言われています。
その下は会場で展示されていたマリー・アントワネットの絵の
ブックマーカーセットと
あめやえいたろうの『Sweet Lip』ラズベリー味。
グロスリップのようなみつあめで可愛い!
そしてマリー・アントワネットと言えば
池田理代子のベルばらのメモ帳。
もったいなくて絶対使えない〜〜。
今回のマリー・アントワネット展は
2013年に開催された『マリー・アントワネット物語展』とは違って
華やかなドレスやウィッグの展示もないし
ほとんどの写真撮影はNGだったので
乙女心を揺さぶるようなトキメキはあまり感じられませんでしたが
時代の激しい嵐に翻弄され
儚くも気高く散っていったフランスの王妃の生涯を
垣間みることのできた貴重な体験となりました。
マリー・アントワネット展は今月26日まで
森アーツセンタ−ギャラリーにて開催中。
この後、青山のファーマーズマーケットに行きました。
その様子は次回の更新時に綴ります。